『儒教と負け犬』(酒井順子著)

儒教と負け犬 (講談社文庫)

儒教と負け犬 (講談社文庫)

内容説明
東京・ソウル・上海、負け犬三都物語! 東京の負け犬は、上海では「余女」、ソウルでは「老処女」と呼ばれていた! 儒教の影響が残る三国の負け犬たちの比較で、結婚できない事情がいっそう明らかに。

図書館で借りた『儒教と負け犬』読了。けっこう楽しく読めた。ネックは、学歴・職業・見た目・生まれなどが高い「三高女性」(高学歴・高収入・高年齢)しか視野に入っていないところ。

仕事も見た目も生まれも低い女性たちはターゲットに入っていないため、この本の中で出てくる「金融会社課長」とか「編集者」とか「4か国語を操る通訳者」の人たちの職業よりも低い位置にいるわたしとしては、軽く疎外感を感じたりも。。

しかし、それを差し引いても、儒教という共通の価値観の影響が強い日本(東京)と韓国(ソウル)と中国(上海)の独身女性のメンタリティを比較してみる、という切り口は新鮮で面白かった。結局、儒教圏では、自分のためというより「親(家)のため」に結婚はあるのだなあとしみじみ。

また、日本の恋愛事情についても分析も興味深かった。たとえば、あとがきに書かれていた、オラオラ系男子とアゲ嬢のカップルのDV率の高さなどを例示しつつ、「リードしてほしい」「相手に尽くさなくてはならない」という思い込みが諸悪の根源なのかも、という分析は「かもなあ」と思わされるものがある。

自尊心が健全なレベルにある20代なら恋愛もいいんだろうけれども、オラオラ系にはまっちゃうタイプの女の子たちは、自分を大事にするって考えそのものに欠けているから、暴力を受け入れたりお金を取られたりしてしまうわけで、元をたどれば家庭環境に問題があるからそうなってる傾向がある。

根元には家庭環境の問題による「自尊心の欠如」があり、いかに家庭に問題のある子たちが多いかがうかがい知れる。メンタルヘルス疾患が増えている社会状況とも関連があるだろう。

DVと虐待―「家族の暴力」に援助者ができること

DVと虐待―「家族の暴力」に援助者ができること

恋愛や結婚が「よいこと」とされている世の中だけれど、児童虐待やDVなど、男女がつがいになり家族となることで生じる問題はたくさんある。


独り身で生きていく上では、たいそうなことはそんなにない。表面上は平和なこの国では、特にドラマもないし、淡々と日々は過ぎていく。美味しいものを食べたり、愛犬と戯れたり。そんな小さな満足を積み重ねることを幸福と呼ぶのだと今は思っている。そのうえで、そこに恋愛や結婚をプラスしたい人はすればいいし、したくない人はしなくていいだけだと思う。

って、これはあくまで私の考えであって、日本はもとより韓国と中国も「儒教」思想が根本にある国では、「家」の存続をかけた親族からのプレッシャーは避けられないわけで、シングルはまだまだつらいライフスタイルだなあと思った。それが無ければ、もっとシングルは増えるのかもね。

儒教と負け犬 (講談社文庫)

儒教と負け犬 (講談社文庫)

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